The Color of Future - “たぐりよせるまなざし”

終了しました。

会期:11/26(sat)-12/4(sun) 11:00-19:00*会期中無休

会場:ターナーギャラリー(豊島区 南長崎 6-1-3 ターナー色彩株式会社 tel 03-3953-5155)

URL:http://www.thecolor.jpn.org/

最寄駅:西武池袋線 東長崎駅都営大江戸線 落合南長崎駅

地図:http://www.thecolor.jpn.org/access.html

出品作家:有賀 慎吾、大山 康太郎、奥村 昂子、カミト ユウシ、喜多村 みか、佐塚 真啓、佐藤 修康、中村 亮一、西澤 諭志、忽滑谷 昭太郎、平川 恒太、宮本 智之、渡辺 おさむ

オープニング・パーティー: 11月26日(土)17:00〜20:00

トークイベント:12月03日(土)18:00〜20:00
ゲスト;井上 康彦(美学、表象文化論研究者)、畠山 宗明(映画学、イメージ研究者)

キュレーション:蜷川千春


「たぐりよせるまなざし」

好きな色は?

尋ねられた人は、何かしらその答えを持ち得ている。

好き、嫌いの分別によって、自然界から得た色彩を日常では随分と軽視し、乱暴に扱う我々。しかし、そのせいか色彩に対しての免疫力を獲得し、鈍くそしてタフになった。 その我々の色彩に対する態度は太陽の光を得て初めて識別できる視覚を持ち合わせているからこそ獲得しうる色彩であることを我々は知り得ているからであり、身近な存在 であるための関係なのかもしれない。色彩は自然界で生まれたものであるが、色彩を成立させたのは太陽の光に反応した我々人間である。色彩を共有し、また受け継ぐ色を 身体に持ち、また生きた場所、歴史の中でも受け継いできた我々の存在なくしては成立しない。

そして、色彩と色名との間にある差、色と言葉にある距離。

これは芸術と日常の社会との距離に等しいものを感じる。

同じ物を見て、少なからず社会に有る情報や規律を共有している我々は、共有するもの、見えるものが同様であるはずなのに、認識や理解には個々に差が生じている。しかし、 その差を持って、我々が芸術鑑賞した際には、「ゲイジュツ」という言葉と目に見える造形物の差に惑わされ、理解されぬもの、日常と相容れないものとされることが多々 あるのではないだろうか。確かに、芸術は日常から離れたところにあるからこそ、社会の中のあらゆるものより遥かに自由を許された状況下にある。ただ、これは許されている のであって、多くの人々に認められている状況にはない。そのため、日々社会から切り離されている感覚を覚えるのは、そのことが原因なのかもしれない。

いや、我々と言葉の間に有る問題はそんな単純のものではない。

決して同じ物ではないからこそ、言葉とその対象は独立して存在し、我々の様々な活動を補うように存在し続けている。言葉と対象にある人間を中心とした自然科学と人文科学 あるいは社会科学の分け隔てられたカテゴリーのように、我々が獲得した色彩は自然から得たプリミティブな位置から獲得し成立させたという面において、自然科学と人文科学 あるいは社会科学の分岐にあるのではないだろうか。

また、そういった分岐において、我々の行為の一つとして、「まなざす」がその重要位置をしめているように思う。対象をまなざすという行為を得た我々は、さまざまな分野に おいて、有り余る多くのものを獲得し得たのではないか。

目に見えるもの、そして言葉、その意味や存在にあらゆる差が生じる中、我々は一致した認識を持ち、それらを同一視するよう結びつけている。そういった我々の色彩体験と 芸術の関係はこれからも切り離せないものである。色彩を授かるだけではなく、獲得し管理する立場にある我々の可能性を芸術や様々な造形物から見る事こそ、我々の色彩体験 をより確かなものにする場として有効なのかもしれない。

蜷川千春